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飛騨高山大会
第15回 日本ホスピス・在宅ケア研究会 全国大会 in 飛騨高山
6月30日(土)・7月1日(日)の2日間にわたって開催されます。
参加方法は以下のとおりです
①事前申込(2日間参加) : 会員5,000円、一般6,000円、学生1,000円 (※申込用紙有り)
②当日申込(2日間参加) : 会員6,000円、一般6,000円、学生1,000円
③7月1日の講演会のみ参加 : 一般2,000円、学生1,000円
今日は、7月1日(日)、文化会館大ホールで、基調講演「ののはな死 の広がり」 をしてくださる、
徳永 進 氏(野の花診療所 院長) について、少しだけご紹介します。
「野の花診療所」は、一般医療全般(内科)とホスピスケアが中心の19床有床診療所(全個室)です。
診療所内には、シーサーのいる中庭、ラウンジ、バーカウンター、家族室(家族風呂も有り)、瞑想室
などがあり、私たちがイメージする「病院」とはちょっと(?)違います。
また、家で最期のときを過ごすための「在宅ホスピス」にも力を入れていらっしゃいます。
徳永氏が、「死ぬのはつらいだろうなー。だったらその時、その横に立っていて、手を握ってあげる仕事をしよう」 と思われたのは、高校2年生の時だったそうです。
詳しいお話は、野の花診療所のHPにも載っています
徳永氏の著書もたくさん(40冊近く)あり、高山市図書館にも何冊かあります

申込は、こちらからもできますが、
NPO法人あんきや内にも申込書がありますので、良かったらお問い合わせください。(0577-35-5676)
なお、7月1日の講演会のみのご参加は、申込不要です。当日直接お越しください。
6月30日(土)・7月1日(日)の2日間にわたって開催されます。
参加方法は以下のとおりです

①事前申込(2日間参加) : 会員5,000円、一般6,000円、学生1,000円 (※申込用紙有り)
②当日申込(2日間参加) : 会員6,000円、一般6,000円、学生1,000円
③7月1日の講演会のみ参加 : 一般2,000円、学生1,000円

徳永 進 氏(野の花診療所 院長) について、少しだけご紹介します。
「野の花診療所」は、一般医療全般(内科)とホスピスケアが中心の19床有床診療所(全個室)です。
診療所内には、シーサーのいる中庭、ラウンジ、バーカウンター、家族室(家族風呂も有り)、瞑想室
などがあり、私たちがイメージする「病院」とはちょっと(?)違います。
また、家で最期のときを過ごすための「在宅ホスピス」にも力を入れていらっしゃいます。
徳永氏が、「死ぬのはつらいだろうなー。だったらその時、その横に立っていて、手を握ってあげる仕事をしよう」 と思われたのは、高校2年生の時だったそうです。
詳しいお話は、野の花診療所のHPにも載っています

徳永氏の著書もたくさん(40冊近く)あり、高山市図書館にも何冊かあります

*写真は本文と関係ありません。(ちなみに、このシーサーは竹富島にいます。)
申込は、こちらからもできますが、
NPO法人あんきや内にも申込書がありますので、良かったらお問い合わせください。(0577-35-5676)
なお、7月1日の講演会のみのご参加は、申込不要です。当日直接お越しください。
ここからは、私ふれっちが最近思ったことをちょっとだけ書いてみます。
若輩者のたわごと、と、聞き流していただければ幸いです。
最近は医療が進歩して、さまざまな治療ができるようになりました。
それでも、多くの方が病気で亡くなっていきます。
もし、大切な人が病気になったら、また、自分が病気になったら、治るものなら治ってほしいですし、
また、より多くの人の病気が治ればいいな、とも思います。
でも、それでも、いつかは確実に「死」はやってきます。死なないわけにはいかないですから。
それならば、最期のときは、できる限り穏やかに迎えたいと思うわけです。
必死になって、いろいろな手を尽くして、治そうとする選択肢ももちろんあると思いますし、
必要最小限の治療だけを行い、自然に身を任せるという選択肢もあるかと思います。
また、治療方法についても、いろいろな選択肢があっていいと思います。
そのためには、患者自身も、その家族も、医療に関係する方も、より多くの知識を持つことが大切だなぁ、と感じています。
そして、いろいろな選択の後、最期のときを穏やかに迎えられる環境が整うといいなぁ、と考えました。
ずいぶん、生意気なことを書いてしまいましたが、私にもまだまだ知識が足りません。
ちょっとずつ、勉強していきたいと思います。
若輩者のたわごと、と、聞き流していただければ幸いです。
最近は医療が進歩して、さまざまな治療ができるようになりました。
それでも、多くの方が病気で亡くなっていきます。
もし、大切な人が病気になったら、また、自分が病気になったら、治るものなら治ってほしいですし、
また、より多くの人の病気が治ればいいな、とも思います。
でも、それでも、いつかは確実に「死」はやってきます。死なないわけにはいかないですから。
それならば、最期のときは、できる限り穏やかに迎えたいと思うわけです。
必死になって、いろいろな手を尽くして、治そうとする選択肢ももちろんあると思いますし、
必要最小限の治療だけを行い、自然に身を任せるという選択肢もあるかと思います。
また、治療方法についても、いろいろな選択肢があっていいと思います。
そのためには、患者自身も、その家族も、医療に関係する方も、より多くの知識を持つことが大切だなぁ、と感じています。
そして、いろいろな選択の後、最期のときを穏やかに迎えられる環境が整うといいなぁ、と考えました。
ずいぶん、生意気なことを書いてしまいましたが、私にもまだまだ知識が足りません。
ちょっとずつ、勉強していきたいと思います。
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